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『新世界より』を観る

『新世界より』
原作の小説は日本SF大賞もとった作品ですね。
原作は未読なんですが、近いうちに読もうと思います。

放送前は結構話題だったなぁと思ったのに、放送終了時くらいにはとんと話題に出てこなくなってしまっていて
正直観るのが怖かったのですが…。
結論としては原作未読ですがとても楽しめる内容だったと思います。
アニメとして観るとかなり作画があれな感じで、一瞬同一人物なのかこれというくらい崩れまくってたりとか、
のっぺりしてたりとかそういうこともあって気分が萎えたという部分もあるのですが、(パッケージにする時点では修正されるんだとは思いますが…)
物語としての展開とか、いかに絵を動かさなくても雰囲気のある映像にするかとかそういう部分の演出などは個人的にはよかったと思います(なんか偉そうですみません…)

ということで、以下がっつりネタバレありますのでそれでもよろしい方はどうぞ。





・一言で言うと格差社会のなれの果てみたいな話だった
おおまかにいうと歴史の過程で呪術という超能力のようなものを持つようになった人間とそれ以外の生き物たちがどうやって共存してゆくのかというお話。
呪術をコントロールできない子供が暴走すると人類滅亡の危機となるため、人間は子供のころから遺伝子レベルでコントロールされる管理社会となる。
そしてその選別で「不適格」な子供、暴走する恐れのあるものは人類全体の自衛のため、成長の過程で排除されてゆく。
また、実は遺伝子レベルでは「人間」であったバケネズミたちは過去の人間たちが作り出したもので、
呪術を持たない人間を区別するため、またそれらを呪術を持つ人間が駆除しても良心の呵責を感じさせないために見た目さえ人ではなく醜い獣へと作り変えるという本当に、本当におぞましい歴史である。
でもどうしてこの話がおぞましいだけではなく、ものすごく悲しいのかというと、
北欧で言うような福祉国家などはみんながみんなデキのいい人でなければ残れないというような社会であったりする。落ちこぼれは存在することが難しい。
みんなが幸せになるために考えたシステムだったはずなのに、結局その中でも不幸になる人たちがでてくる。
それは権力を掌握しようとかそういう動機がもとで発生したのではなくて、教養のある、まっとうな人たちが考え出した事柄であるが故にものすごい悲しみを感じるものだったりする。
一人の異端がでれば滅亡してしまう、そのための自衛の措置だったりするのだが、その考え方自体が何か怖れに基づいているものであって、積極的な理由とは言い難い。
でもそれだって否定できないし、代替案をもってこいよ!と言われても提案できる自信もない。
スクイーラ達バケネズミ達が踏襲した民主主義の人間社会の政治的機構にしても人のその血塗られた歴史を繰り返してゆく。
奇狼丸の保守的な専制君主的な考え方も正解などとは言えない。

・じゃあ、この話ってどうやったらみんなが幸せに暮らせるの?
という課題だけを残して幕が引かれる。
本当に、どうすればいいんだー!!!!と胸に重く、それは重くのしかかってくる話なのですよ…。
主人公の早季ちゃんはバケネズミたちのコロニーを存続させること、復讐を繰り返さないということを一歩としてあげているけど、本当に…本当にこれは難しい問題だと思う。
そしてこの手の問題に向き合うのってホント辛いのだよ…。
この話の中で真理亜も言っているけど私たちはそんなに強くない。
自分自身が何をできるかって、こう、世の中を動かせるわけでもなく、お金があるわけでもない。
幸いこの国では本を読むのに図書館は税金納めていれば誰でも使えるし、学ぶ機会だって沢山ある。
本を読んだり、いろいろなことを学んだりして、周りに振り回されない、情弱にならないように努めるということしかできないのですが、それができるというだけで大いに恵まれていると考えないとなぁと漠然と思ったりもするのです。

ということで、そのうち原作も読もうと思ってます。
アニメ未視聴の方はとりあえず原作読めば足りるんじゃないかと個人的には思います(オイ…
アニメって結構時間を取られますので…。時間に余裕があったりとか、キャラクターのイメージを作りたいという方はアニメをおすすめします。
オープニングがなく、話の密度は結構高いほうかなぁと思うので、退屈はしないと思います。

うーん…。
後味はあまりよくない…よね…。うーん。
by rui-hadsuki | 2013-04-24 11:19 | animation | Comments(0)
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